千葉絵里の 「英語・コミュニケーション・通訳で幸せになろう!」ブログ

「言葉で人をつなぐ、心をつなぐ」コミュニケーター/リンギスト/英日会議通訳者/英語講師/コーチ/会議ファシリテーターのブログです。通訳者としての得意分野はプロフィールをご参照ください。

記事紹介:ローコンテクスト社会で<通訳する>ということ

購読しているブログ「50歳で始めた通訳訓練」で紹介されており、非常によい記事だと思ったので私も紹介。はてなブログにはトラックバックという機能がないようなので、こういう形の紹介になることをお許しいただきたい。

 

ローコンテクスト社会で<通訳する>ということ――新潟県立大学「政治学入門」授業公開 / 田村優輝×浅羽祐樹 | SYNODOS -シノドス-

 

 外務省で通訳担当官をされている方のお話だけど、通訳者全般にとって、また学習者全般にとって、非常に重要な指摘が詰まっている。

 

まず、「限られた準備時間の中で“正しく努力する”ことを意識する」ことが重要だ、という指摘。通訳者の世界では、「努力したことは無駄にならない。今回準備したことは直接仕事には関係なかったけれど、後できっと役に立つ」という言葉がある。そういう側面は確かにあるのだが、「限られた時間で準備する」場合、方向性を誤った努力をしていると、必要な準備すら時間内に完了できないことがある。何をどこまで、どういう優先順位で準備していくべきかを常に意識する必要がある。また、何を学習するにしても「スタンダードをおさえる」のが肝要で、それが後々の応用可能性を拓いてくれる、という議論は説得力がある。

 

 

また、タイトルにもなっている「ローコンテクスト」と「ハイコンテクスト」。「ハイコンテクスト」とは語り手の田村さんによれば「身内だけがわかる用語、説明しなくてもなんとなくニュアンスが伝わる、そういった世界で生きている状況」のことであり、「ローコンテクスト」とは「まったく前提知識がない相手に対しても、“どういうバックグラウンドがあって、だからこういう話なんですよ”ということを説明しなければいけない状況」のこと。

 

これを踏まえて考えると、日英の通訳が難しいのは当たり前だ。私たちは特定の社会状況の中に埋め込まれて生きており、その集団の中では、成員にとって自明な事柄は共有されているという暗黙の了解のもとで話が進んでいく。主語がなくても通じる、という日本語の言語としての特徴がそれをまた助長する。だから、英語に訳すより前に、日本語話者同士の間であっても、「自分たちにとって自明な事柄でも、他者に共有されているかどうか」を意識することは、円滑なコミュニケーションにとって重要なことだと思う。日本語の発言を英語に訳すときは、暗黙の了解で共有されているが発言として表れていないものは何かを考えながら、適宜情報を補っていかないと、「主語+動詞」という形を要求する英語では表現できにくいものが多い。

 

なお、文化の中にハイコンテクスト、ローコンテクストのものがある、というのはエドワード・ホールの主張だが、近年、彼の主張には実証的根拠が乏しいという批判が出されているようだ(こちらのブログ記事など)。田村さんの「ハイコンテクスト、ローコンテクスト」という言葉の使い方は、そういう動向も踏まえているように思われる。

 

この記事は実際的な意味でも大変参考になる。表敬訪問の通訳を民間通訳者に依頼されることもあるので、どういうふうに準備をするべきか、改めて確認することができた。レセプションの仕事のときなどに、省庁の方が要人に配布するという「話題集」があるといいなあと思ったりしたが、こちらは自分でアンテナを張って調べるしかない。スピーカーの癖をYoutubeなどで確認するというのも非常に有効だ。